石  仏

静かな竹林に安置された石仏群

生態園の東南角の一段高くなっている台地の小さい広場には数々の石仏が安置されています。
この石仏群は、織田信長が室町幕府最後の将軍、足利義昭のために築いた旧二条城(永禄12年、1569年) の石垣に使ったといわれる石仏で、現在の烏丸通・新町通・丸太町通・下立売通の2町四方のうちの烏丸出水ー丸太町間の390m にわたって石垣に使われていたとのことです。
これを見ると、あの織田信長という人の性格の一面が理解でき、とても驚かされます。
昭和56年に開通した京都市の地下鉄工事の際に発掘されたもので、これらの石仏の中には歴史上貴重な仏像もあるとのことです。


石仏群の広場には白砂の場があり、その中央部に点在する飛び石をわたって拝観できます。 飛び石のそばにはこれらの石仏群の由来を示す説明板が置かれています。 静寂な竹林の中にぽっかり空いた小さい台地に安置されている石仏はひっそりとその昔を物語っているようです。

説明板にかかれている  旧二条城関係の石造物群

ここに展示されている石造物は、地下鉄烏丸線建設に先だって昭和50年から53年にかけて行われた事前発掘調査により確認された旧二条城から出土したもので、 主に石垣の石材に使用されていたものである。

旧二条城は、永禄12年(1569)に織田信長が室町幕府15代将軍足利義昭のために築造したもので、 烏丸丸太町交差点の北に位置し、発見された石垣には、自然石の他に石仏、供養碑、五輪碑、礎石、建材等が使用されていた。

当時日本で布教活動をしていたポルトガルの宣教師フイス・フロイスの著した「日本史」の中にも「信長は多数の石像を倒し、 頸に縄をつけて工事場に引かしめた。都の住民は、これらの偶像を畏敬していたので、それは彼らに驚嘆と恐怖を生ぜしめた」 (松岡毅一・川崎桃太訳「フロイス 日本史」による。)という記載があり、上記の事実と一致する。

これらの石造物は、従来あまりよく知られていなかった旧二条城の貴重な資料であり、 昭和58年6月1日に京都市指定有形文化財(考古資料)に指定された。

                                  京都市